深夜2時の独り言。

田舎から出てきた大学生が思っていることを書いています。

成人式に行ってきた。

「誰かわからなかった!」

 

私が中学まで過ごした地元の成人式に出て言われた言葉ランキング第1位。

 

 ほとんどの人が地元の高校に行く中、私は地元を出て違う地域の高校に行った。その高校に地元から進学した人は私1人だけ。地元に友達なんていないし、地元の高校の友人関係なんて知らないから成人式に行く気はなかった。

 

 だが、私と同じく高校で地元を出た友達から誘われて出席した。

出席したはいいものの、なにせ友達がいない。普通に困った。地元にいない私を珍しがってか声はかけられるが、一緒に行動をするような友達はいない。

 高校時代ですら、地元に帰ってきても誰とも会わないで実家でぼーっとしていた。そんな奴が20歳になって地元に友達がいるはずがなかった。

 

母親同士が仲が良くて小学生の頃たまに遊んでいた子が、

「今度帰ってくる時連絡してよ!遊ぼうよ!」

と言ってきた。それは本心で言っているのだろうか。私のひねくれた心が素直に受け取ってくれない。

 

 とは言え、地元の人たちが私の事を覚えていてくれて少し安心したのは、事実。以前、親に「地元出た時点でもう他所者なんだよ」と言われ、都会では田舎者として生きているから、私は何者なのだろうかと悩みクラクラしていた。だから、覚えてくれていて少しは安心した。顔を見ただけでは誰か分かってくれなかったが。

 

 その後中学の同窓会にも顔を出した。話題は今どこで何をしているのか、が定番だった。というより、私が沢山の人に質問された。そうだよな、高校でもう関わらなくなったし、私か私の親と話さない限り私の進路を知る機会なんてないから。

 

地元の多くの人が就職をしていた。結婚をしている人もいた。

 

私なんてまだ学生で、学費その他もろもろ親に払ってもらっているのに、私より人生の階段が上の人がほとんどだった。何となく自分が遅れている気分になった。

 

 友達から聞いた後日談だが、私が「A子はいじめられている。B子は裏のボスでC子とD子を操っている。」と言った、という悪い噂があったらしい。もちろん、事実無根だ。私はもう地元には住んでいないから、好きに言わせておけばいい。私が都会に住んでいることへの嫉妬だと友達には伝えた。

 

 とはいえ、普通にへこんだ。私は大人だから、と何度も言い聞かせた。嫉妬だと自分に思い込ませることによって、久しぶりに会った同級生にイヤなことを言われた、というショックを軽減させようとしている。

 

 

今日は遅いからもう寝よう。おやすみなさい。

キラキラしている人間にはなれなかった。

「人前に出るのは苦手だから」と言って、ずっと裏方に回り続けていた。

小学生の学芸会も。

中学生の時の文化祭も。

高校生の時の学祭も。

 

でも、裏方の仕事をしていると人前に出て演劇をしてり、歌を歌ったりダンスを披露している人々に憧れる。人前に出てキラキラしている所が私の心に刺さる。

 

心の中で

「私も人前に出て注目を浴びるような存在になりたい」

という気持ちが年々大きくなっていく。

 

そして、その気持ちが抑えきれなくなって何年かに一度人前に出る。

それが終わってから振り返ってやっぱり自分には向いていないんだと落ち込み、その気持ちは0になる。いやむしろマイナスになっているのかもしれない。

 

その後からまた年々と人前に出たい気持ちを貯めていって、ある程度まで貯まったら人前に出る。そして落ち込む。

 

 

 無限ループ

 

 

そもそも私は歌もダンスも演技もできない。

かと言って人を惹きつけることができるような才能もなかった。

 

小さい頃よく家で踊っていた。親にダンス習う?と聞かれた私は断ったが、あの時にダンスを習っていれば人前に出るような魅力的な人になっていたのだろうか。

 

そんなのは、タラレバに過ぎない。

 

 適材適所とはよくいったものだが、やりたいと感じたことが自分には向いていないと感じるときが一番辛い。才能なんて努力でカバーすればいい、という考えもあるが、努力をすればするほど努力ではカバーできない部分が出てくる。

 

 

自分は裏方が向いているということは自分が一番わかっている。

けれども人前に出てキラキラしている自分をどこかで諦めきれていない気がする。

 

たまに人前に出てキラキラしている自分を想像してしまう。

人生諦めも肝心だということを頭に思い浮かべながら。

 

 

 

今日は遅いからもう寝よう。おやすみなさい。

肩書だけは大人になった。

数か月前に20歳になった。

 

もう未成年ではなくなってしまったし、責任がすべて自分になるようになった。

 

正直言って何も実感がない。

 

先日、成人式の前撮りをしたが、それでも実感がわかない。

 

 20歳になった瞬間コンビニに行ってお酒を買うとかやりたいと思っていた。

でも、誕生日の周辺に大きい課題の提出期限だったり、テストだったりと色々なことがありすぎて、正直誕生日のお祝いどころじゃないだった。

 

 

 忙しかった期間が終わり、数か月前までは全く通らなかったスーパーのお酒コーナーに足を踏み入れてみる。なんだか居心地が悪いし、自分が悪いことをしている気分になる。結局買いたいお酒が無く何もカゴに入れずに立ち去るだけ。

数か月経った今でもお酒を飲んでいないということは、そもそも興味があるものではないのかもしれない。

 

このご時世、大学での飲み会などが開催されないため、お酒を飲まなくても特に困ったことはない。

 

1回だけ友達と焼き肉を食べに行ったときにお酒を飲んでみるかという話になり、頼もうと試みたことがある。いざ頼んでみたら、「今、お酒提供していなくて…」と店員の一言。緊急事態宣言でお酒を提供していないことをすっかり忘れてしまっていた。

また、お酒を飲む機会を逃してしまった。

 

別に無理して飲まなくてもいいのかなという気持ちになってきた。

 

20歳らしいことは何一つとしてしていないのだが、1つだけ20歳になって変わったことがある。

 

 

年齢差の考え方だ。

 

18、19歳の時は24歳は結構歳が離れているなと感じてたが、20歳になったとたんに24歳が近い存在に感じるようになった。

 

ただ、それだけ。

 

いつか大人になったなと感じられる日をゆっくり待とうと思う。

 

今日はもう遅いから寝よう。おやすみなさい。

都会は息苦しい

初めてディズニーランドに連れて行ってもらった、8歳。

ニコニコ超会議に行きたくて配信を見ながら画面の前で指をくわえていた、14歳。

修学旅行で都会のすごさを思い知る、17歳。

推しのイベントに行きたくて都会の人たちに嫉妬した、18歳。

 

都会に出てきて今まで行きたかったところ、やりたかったことができるようになった、19歳。

 

 

 高校入学と同時に田舎の地元を出て少し都会に住み始めた時、地元とは違う都会の生活に触れることができて心が躍った。そして、関東に出てきた今正真正銘の都会を体感して、高校生の時にはしゃいでいたのも序の口だったんだと思い知らされることになる。

 

 

 

 田舎者の私が都会での生活を始めて早1年。ふとした瞬間に息苦しく感じることがある。

 

 どこを見ても人、人、人。

 今まで満員電車なんて体験したことなかったのに、毎日のように二酸化炭素濃度が高そうな満員電車に揺られている。そして、こんなにも日常で人が集まるのを見たことがなかった。隣の人に「今日はお祭りですか?」と聞きたいくらいだ。

 先日「キ ョ リ カ ン」と書かれたソーシャルディスタンスを促すためであろう広告を満員電車の中で見て、ずいぶんと皮肉の利いた広告だと思った。

 

 私が言いたいのは物理的な息苦しさとは別にまだあるのだが。

都会には、田舎のあのコミュニティーの閉そく感とはまた違った息苦しさがあると思う。

 

 私の目に映る都会の人はいつも急いでいるように見える。

 朝も急いで電車に乗って出勤し、夜も急いで電車に乗って帰宅している。帰宅ラッシュのもうキャパオーバーな満員電車に無理くり乗ろうとする人とか…。帰るときくらいもう少しゆっくりしてもいいのでは?と思ってしまう。

 まあ、早く帰りたい気持ちもわかるが。

 

 そして、都会はどこにも隙間を感じることができない。所狭しと綺麗にビルが敷き詰められている光景はまるでジグソーパズルだ。1ピースでも空いているピースがあれば、そこに違うピースがはめられる。いつもそのパズルは完成されていて、私たちに隙を見せないところが余計に息苦しく感じる。

 

 都会でずっと頑張ってきていた人が、定年後に田舎に移住する理由が何となくわかった気がした。

 

 

今日は遅いからもう寝よう。おやすみなさい。

「成績がいい=良い」という世界線で生きてきたんだけど。

今まで学生として生きてきた約13年間、「成績がいい人=良い」とされていた。

 

 

 小中学生の時に、テストの点数が良ければ褒められ、「優等生」として認識され「○○は頭いいから」という言葉を浴びていた。この言葉は何度も耳にしたし、私自身も使っていたと思う。

 

 高校生の時の担任が一番可愛がっていたのも成績がいい人たちだけだった。

 噂だから本当かどうかはわからないが、私の担任はクラスの生徒と受験期の二者面談をした時に「私が本当に信じているのは3人」と言って、クラスの成績上位者を挙げていたらしい。いやまあ、心の中でこいつは信じるとか信じないとは思うのは勝手だが、生徒にそれを言うのはまずくないか?とは思った。

 

 

 しかし、この方程式が大学2年生になって崩壊した。

ゼミの選考で「ゼミに入りたい情熱や人柄を重視します。」と言っているゼミが多かった。しかも人気のゼミで内容もみんなが惹かれるような魅力的な内容だった。

 

 おいおい、成績順で行きたいところ行けるんじゃないんかい。今まで積み重ねてきた成績はどこに行っちゃうの?といった感じだ。まあ、積み重ねたと言っても1年間のみなのだが。

高校だって大学だって受験で成績がいい人順に取られてきたのに、ここにきていきなり人柄。人柄なんて努力でどうにでも出来るわけではないから、もし人柄で落ちても自分ではどうにもできない。

 

確かに就活も結局最後は面接だから、その練習なのかもしれない。

 

 

 私ははっきりとしない基準で合否を決められたり、順位を決められるのがとても理不尽に感じてしまう。具体的に言うと、その順位をつける人によって変わるような芸術系だ。クラスの合唱対抗で自分がこっちの方がいいだろ、と思っていても蓋を開けてみれば逆であったりする。このような部分が理不尽に感じてしまう。

 この思考は今までずっと目に見えた評価のみの世界で生きてきたからだろう。

 

 

今日は遅いからもう寝よう。おやすみなさい。

 

 

 

そういえば、

「授業の抽選落ちとかゼミの選考の当落とか訳わからん。ちゃんと学費納めてるから学びたいこと学ばせろよ。」と友達に言ったら苦笑いされました。ちなみに1年生前期からずっと受けたいと思っている授業は1年間半抽選に落ち続けています。

一瞬だけ帰省した気分になる。

インスタの通知が鳴る。

「○○さんからフォローリクエストが来ています。」

 

私のインスタのアカウント(リアル)は鍵をつけていて、基本知り合いか私と共通点のある人(学校が一緒など)しかフォロー許可をしないようにしている。フォローしてきた人が誰なのかを知るためにプロフィールを覗きに行った。

 

 その人と私の共通のフォロワーには地元が一緒の人たちの名前が並んでいた。その名前が並んでいる光景を見てプチ同窓会みたいだな、と地元の人からフォローされるたびに思う。

 アカウント名で私の脳内にある小中学生の頃の名簿を検索するととある人がヒットした。それと同時にその名簿と一緒に記憶されていたその人の顔だったりちょっとしたエピソードが思い浮かぶ。

 

 色々と考えていると、私は「地元にいた頃の私」に引き戻された。帰省した時にしか引き戻されないと思っていたのに、とんだ罠だった。 今の私は「地元にいたころの私」とは違う。だから今の私を見て地元の人たちは何を思うのだろうか、と怯えてしまう。

 その「地元にいた頃の私」といえば、真面目で校則に逆らうなんてことは一切なかった。(と思う。)髪も染めたことなんてなかった。今の私は「その頃」の私が嫌いだ。変に周りのイメージに囚われて、そのイメージから出ることができなかった。

 

 今私は地元で1番派手な髪色かもしれない。絶対に帰省したら目立つだろうなと思っている。だから帰省するときにはなるべく暗い髪色で帰ろうと思っている。

 

 

ほら、また周りからのイメージに囚われている。

 

 

地元に「いた」頃の自分が嫌いなのではなく、地元に「囚われている」自分が嫌いなのかもしれない。

 

 

 もう一つ、地元の友達のストーリーが流れてくる時も帰省した気分になる。ほんの数十秒間に詰まっている地元の景色さえも懐かしいと感じるようになってしまった。

  もう1年間も地元に帰っていない。何も気にしないで実家に帰れる世の中に早くなってほしいと思いつつ、今日もふとしたことで地元を思い出しては懐かしんでいる。

 

 

今日はもう遅いから早く寝よう。おやすみなさい。

結局好きな服は7年前から変わらない。

まだ私が小学3,4年生だったころだろうか、親に

「あんたは自分が気に入った服しか着ないから、着るって言った服以外は買わない」

と宣言された。以前までは親がいいと思った服を買ってくるということがあったがこの宣言後は一切なくなった。私が服屋さんで「この服着る」と言わない限り服は増えていかなかった。

 私はどうやら小さい頃から頑固だったようだ。一人っ子だったからお下がりを着る機会は全くなかったのだが、もし姉がいて私にお下がりを着せようと親が考えて姉の服を買っていれば頭を抱えただろう。

 

 

 先日、ここ数週間の蒸し暑さに耐え切れず夏服を買おうとZOZOTOWNで買い物をした。そこまで考えずに「着回ししやすそう」や「かわいい」なんて思いながらカートに服を入れ、そのまま注文した。

 後日注文したものが届いてダンボールを開けると驚いた。デザインが微妙に違う白のブラウスが3着。友達にも「同じようなのばっかり買って」と言われてしまった。挙句の果てには、形だけで言うとブラウスが5着だ。どれだけブラウスが好きなんだ…。自分でも「もっと違う形のも買えよ…」と呆れてしまった。

 

 話の時系列は戻り、小学校高学年の頃。私はその頃から襟付きの服ばかりを着ていた気がする。親によく「また襟付き?」と言われていたのを思い出した。友達に「同じようなのばっかり買って」と言われたときにデジャブを感じたのはこれか。なるほど。

 

 

 小学校高学年の頃ははカジュアルな感じが好きだったが、最近は量産系っぽいフリフリした感じの服を選んでしまう。(とはいえがっつり量産系ではないと思っている。しかし、この前量産系ではないと思っていた服装で大学に行ったら高校からの友達に「量産系じゃん!」と言われてしまった。)

 カジュアルからガーリーな服が好きになるなんて、好きになる服装の系統の順番がおかしい気がする。

とはいえ、小学生の頃からブラウスを好んで着ていたので、服装の根本的な趣味は変わっていないのかもしれない。

 

 

 

 高校に進学するタイミングでは大人っぽくしなきゃと背伸びをしていた。だが、高校生になってから、SNSなどで自分の好きなものを着たりと、好きなものを追求している方を見てその生き様がかっこよくて憧れた。そこからは自分の好きなものを身に着けて何が悪いのだろう、というマインドになり、気持ちが楽になった。本当に着たいものを着たり、部屋を自分の大好きなディズニーとサンリオで装飾したり…。友達に「ピンク代表」や「ディズニーとサンリオが喧嘩している部屋」といじられたが、それも私の個性だと思っていた。(その友達はまじで仲いいのでそもそも気にしていない。)

 

 田舎はそもそもの母集団が少ないから、少しでも個性があると目立ってしまう。しかし、都会は母集団が多いから個性がある人が多くいる確率が高くなる。個性がある人が多いとその個性にありふれた環境が当たり前になるから目立たない。

 だから、「都会」という場所はその好きなものを追求する思考にとてもあっていて心地よく感じてしまう。そんな都会に私は魅力を感じてしまうのかもしれない。

 

今日はもう遅いから寝よう。おやすみなさい。