深夜2時の独り言。

田舎から出てきた大学生が思っていることを書いています。

結局好きな服は7年前から変わらない。

まだ私が小学3,4年生だったころだろうか、親に

「あんたは自分が気に入った服しか着ないから、着るって言った服以外は買わない」

と宣言された。以前までは親がいいと思った服を買ってくるということがあったがこの宣言後は一切なくなった。私が服屋さんで「この服着る」と言わない限り服は増えていかなかった。

 私はどうやら小さい頃から頑固だったようだ。一人っ子だったからお下がりを着る機会は全くなかったのだが、もし姉がいて私にお下がりを着せようと親が考えて姉の服を買っていれば頭を抱えただろう。

 

 

 先日、ここ数週間の蒸し暑さに耐え切れず夏服を買おうとZOZOTOWNで買い物をした。そこまで考えずに「着回ししやすそう」や「かわいい」なんて思いながらカートに服を入れ、そのまま注文した。

 後日注文したものが届いてダンボールを開けると驚いた。デザインが微妙に違う白のブラウスが3着。友達にも「同じようなのばっかり買って」と言われてしまった。挙句の果てには、形だけで言うとブラウスが5着だ。どれだけブラウスが好きなんだ…。自分でも「もっと違う形のも買えよ…」と呆れてしまった。

 

 話の時系列は戻り、小学校高学年の頃。私はその頃から襟付きの服ばかりを着ていた気がする。親によく「また襟付き?」と言われていたのを思い出した。友達に「同じようなのばっかり買って」と言われたときにデジャブを感じたのはこれか。なるほど。

 

 

 小学校高学年の頃ははカジュアルな感じが好きだったが、最近は量産系っぽいフリフリした感じの服を選んでしまう。(とはいえがっつり量産系ではないと思っている。しかし、この前量産系ではないと思っていた服装で大学に行ったら高校からの友達に「量産系じゃん!」と言われてしまった。)

 カジュアルからガーリーな服が好きになるなんて、好きになる服装の系統の順番がおかしい気がする。

とはいえ、小学生の頃からブラウスを好んで着ていたので、服装の根本的な趣味は変わっていないのかもしれない。

 

 

 

 高校に進学するタイミングでは大人っぽくしなきゃと背伸びをしていた。だが、高校生になってから、SNSなどで自分の好きなものを着たりと、好きなものを追求している方を見てその生き様がかっこよくて憧れた。そこからは自分の好きなものを身に着けて何が悪いのだろう、というマインドになり、気持ちが楽になった。本当に着たいものを着たり、部屋を自分の大好きなディズニーとサンリオで装飾したり…。友達に「ピンク代表」や「ディズニーとサンリオが喧嘩している部屋」といじられたが、それも私の個性だと思っていた。(その友達はまじで仲いいのでそもそも気にしていない。)

 

 田舎はそもそもの母集団が少ないから、少しでも個性があると目立ってしまう。しかし、都会は母集団が多いから個性がある人が多くいる確率が高くなる。個性がある人が多いとその個性にありふれた環境が当たり前になるから目立たない。

 だから、「都会」という場所はその好きなものを追求する思考にとてもあっていて心地よく感じてしまう。そんな都会に私は魅力を感じてしまうのかもしれない。

 

今日はもう遅いから寝よう。おやすみなさい。