気付いてあげられなくてごめんね。
「気づいてあげられなくてごめんね」
高校入学直前の春休みに行った病院の帰りに母に言われた言葉。
言われてから約5年が経ったが未だに鮮明に記憶に残っているし、思い出すとなぜか涙が出てくる。
いつでも健康なことが自慢だった私。小中学校と皆勤賞だった。
しかし、中学3年になってから徐々に貧血の症状が出るようになった。音楽の授業で歌っていたらクラクラしてきて座り込んでしまった。体育で張り切ってバスケをしたら視界が狭くなり具合が悪くなり、保健室に行ったが最終的には嘔吐してしまい家に帰された。
この症状はたまにしか出ていなかったので、そこまで気にしていなかった。
3月、卒業式も終わり高校受験の合格発表の日になった。私は志望校に合格していたのだが、そこで安心したのか9年ぶりに熱を出してしまった。
その発熱から体調不良は長引いた。4月から下宿暮らしだったため新生活のための家具を見て回りたいのに、少し歩くと辛くなってそれどころではなかった。友達と遊びに出かけてプリクラを撮っても落書きの数分間すら立っていられなかった。
流石に辛すぎて人生で初めて親に病院に連れて行ってほしいと頼んだ。
病院に行き、血液検査を受けると思っていたより事態は深刻だった。
「もうちょっと病院に来るのが遅かったら輸血でしたよ」と医者に言われた。
「普通の人は大型トラックで赤血球を運んでいるのに、たちばなさんは小型トラックで運んでいるようなものです。」
という例えをされたときは流石に笑いそうになった。
中学で消去法で選んだ部活(運動系)は3年間の間で予想以上に好きになり、受験勉強中には早くそれがしたいと嘆いていた。
しかし医者からは
「半年運動禁止」
と告げられてしまった。
部活に入ってもそれをすることができないという悲しさと、この状況なのに2週間後には親元を離れて一人で生活しなければいけないという不安で帰りの車で泣いてしまった。
そんな私を見て母親は
「気づいてあげられなくてごめんね」
と謝った。
この言葉を思い出すと涙が出る理由が自分でもよくわかっていない。
母親に責任を感じさせてしまったことに罪悪感を感じているのかもしれない。
ちなみに今では通常の元気な生活を送っております。
今日はもう遅いから寝よう。おやすみなさい。