深夜2時の独り言。

田舎から出てきた大学生が思っていることを書いています。

都会は息苦しい

初めてディズニーランドに連れて行ってもらった、8歳。

ニコニコ超会議に行きたくて配信を見ながら画面の前で指をくわえていた、14歳。

修学旅行で都会のすごさを思い知る、17歳。

推しのイベントに行きたくて都会の人たちに嫉妬した、18歳。

 

都会に出てきて今まで行きたかったところ、やりたかったことができるようになった、19歳。

 

 

 高校入学と同時に田舎の地元を出て少し都会に住み始めた時、地元とは違う都会の生活に触れることができて心が躍った。そして、関東に出てきた今正真正銘の都会を体感して、高校生の時にはしゃいでいたのも序の口だったんだと思い知らされることになる。

 

 

 

 田舎者の私が都会での生活を始めて早1年。ふとした瞬間に息苦しく感じることがある。

 

 どこを見ても人、人、人。

 今まで満員電車なんて体験したことなかったのに、毎日のように二酸化炭素濃度が高そうな満員電車に揺られている。そして、こんなにも日常で人が集まるのを見たことがなかった。隣の人に「今日はお祭りですか?」と聞きたいくらいだ。

 先日「キ ョ リ カ ン」と書かれたソーシャルディスタンスを促すためであろう広告を満員電車の中で見て、ずいぶんと皮肉の利いた広告だと思った。

 

 私が言いたいのは物理的な息苦しさとは別にまだあるのだが。

都会には、田舎のあのコミュニティーの閉そく感とはまた違った息苦しさがあると思う。

 

 私の目に映る都会の人はいつも急いでいるように見える。

 朝も急いで電車に乗って出勤し、夜も急いで電車に乗って帰宅している。帰宅ラッシュのもうキャパオーバーな満員電車に無理くり乗ろうとする人とか…。帰るときくらいもう少しゆっくりしてもいいのでは?と思ってしまう。

 まあ、早く帰りたい気持ちもわかるが。

 

 そして、都会はどこにも隙間を感じることができない。所狭しと綺麗にビルが敷き詰められている光景はまるでジグソーパズルだ。1ピースでも空いているピースがあれば、そこに違うピースがはめられる。いつもそのパズルは完成されていて、私たちに隙を見せないところが余計に息苦しく感じる。

 

 都会でずっと頑張ってきていた人が、定年後に田舎に移住する理由が何となくわかった気がした。

 

 

今日は遅いからもう寝よう。おやすみなさい。