「成績がいい=良い」という世界線で生きてきたんだけど。
今まで学生として生きてきた約13年間、「成績がいい人=良い」とされていた。
小中学生の時に、テストの点数が良ければ褒められ、「優等生」として認識され「○○は頭いいから」という言葉を浴びていた。この言葉は何度も耳にしたし、私自身も使っていたと思う。
高校生の時の担任が一番可愛がっていたのも成績がいい人たちだけだった。
噂だから本当かどうかはわからないが、私の担任はクラスの生徒と受験期の二者面談をした時に「私が本当に信じているのは3人」と言って、クラスの成績上位者を挙げていたらしい。いやまあ、心の中でこいつは信じるとか信じないとは思うのは勝手だが、生徒にそれを言うのはまずくないか?とは思った。
しかし、この方程式が大学2年生になって崩壊した。
ゼミの選考で「ゼミに入りたい情熱や人柄を重視します。」と言っているゼミが多かった。しかも人気のゼミで内容もみんなが惹かれるような魅力的な内容だった。
おいおい、成績順で行きたいところ行けるんじゃないんかい。今まで積み重ねてきた成績はどこに行っちゃうの?といった感じだ。まあ、積み重ねたと言っても1年間のみなのだが。
高校だって大学だって受験で成績がいい人順に取られてきたのに、ここにきていきなり人柄。人柄なんて努力でどうにでも出来るわけではないから、もし人柄で落ちても自分ではどうにもできない。
確かに就活も結局最後は面接だから、その練習なのかもしれない。
私ははっきりとしない基準で合否を決められたり、順位を決められるのがとても理不尽に感じてしまう。具体的に言うと、その順位をつける人によって変わるような芸術系だ。クラスの合唱対抗で自分がこっちの方がいいだろ、と思っていても蓋を開けてみれば逆であったりする。このような部分が理不尽に感じてしまう。
この思考は今までずっと目に見えた評価のみの世界で生きてきたからだろう。
今日は遅いからもう寝よう。おやすみなさい。
そういえば、
「授業の抽選落ちとかゼミの選考の当落とか訳わからん。ちゃんと学費納めてるから学びたいこと学ばせろよ。」と友達に言ったら苦笑いされました。ちなみに1年生前期からずっと受けたいと思っている授業は1年間半抽選に落ち続けています。