深夜2時の独り言。

田舎から出てきた大学生が思っていることを書いています。

私には文才がない。

「初めての記事なのにこんなタイトルでいいのか。」

「いや文才がないんだったらブログ書くの向いてないよ。」

 

と思った方は必ずいるだろう。前者の意見は私の心の中だったりもする。

 

 

 

 私は何かを始めるとき、というよりも何かを書こうと思った時、このブログがその典型的な例なのだが、何かの文章に影響をされて書き始めることが多い。その時に読んだ文章の繊細さ、綺麗さに憧れてPCに向かう。だがしかし、書き始めるたびに自分の「文才」の無さを痛感し、あなたは凡人ですよと言われている気がして落ち込んでしまう。

 別に凡人でもいいのかもしれない。凡人がいるからこそ文才のある人は輝くことができる。でもそれは「あなたは物語のモブAだから主人公にはなれない。」と言われているように感じる。物語の主人公でありたいと願う承認欲求が強い私にとっては酷な話である。

 

 そもそも私の場合は「文才」以前の「文章力」の問題ではないかと思っている。

 

 私の中で「文才」は生まれ持っているもの。「文章力」は自分で身に着けていくもの。と認識している。

 

 

「文章力は自分で身に着けていくものなのだからせめて文章力くらいは身に着けることができるでしょ。」

 

 

そう口にすることは簡単なのだ。


 ある程度読みやすい文章を書ける程度まで文章力を高めるとすると、その分文章を沢山読む必要があると私は考えている。

ここで私の中でもう1つ問題が生まれる。

 

 

私は本を読むことが苦手だ。

 

 

ただでさえ最初からブログの適性度が低そうな発言をしているのに、この発言でさらに適性度を下げてしまった。

 

 

私は凡人だから0から1を作り出すことはできない。

でも、世の中にある可能性を拾い集めて10を11くらいにすることは可能なのかもしれない。

 

私はこれから文章を10から11にするだけの努力はしようと思った。物語の中でモブAの役をもらった凡人は少しでもいい役をもらえるように頑張るしかない。

そのために苦手な文章を読むという宿題ができてしまったが。

 

今日はもう遅いから早く寝よう。おやすみなさい。